蜷川実花展で、そっと差し出されたもの。家族と「今ある時間」のこと/人生の手触りメモ9月
その日、家族について考えたくて、行ったわけではなかった。
正直に言うと、高校生の頃から好きだった蜷川実花さんの展覧会を、開幕前の内覧会で見られる。そのことに、ただ心が躍っていた。
もくじ
「halna」の始まりは、蜷川実花さんのサイン
蜷川実花さんを知ったのは、高校生の時。
小説の装丁に使われていた写真に惹かれたのがきっかけだった。
大学生の頃は、渋谷PARCOで開かれた展覧会へ行った。
そこで買った写真集に、蜷川実花さん本人からサインをいただいた。
会場に現れた蜷川実花さんは、おしゃれでクールで、大学生の私には少し近寄りがたいほどのオーラがあった。
でも、写真集を抱えてドキドキしながら待っていた私に気づいていた親切なスタッフの方が、「この子がサインを欲しいみたいで、ずっと待っていた」と伝えてくれると、こちらを向いて名前を聞いてくださった。
その笑顔が優しかった。
そのとき書いてくださった、
「Halnaちゃん」
という裏表紙のサイン。
今も使い続けている「halna」という
名前は、この日から始まった。
私にとって、ちょっと特別な名前だ。

それから約25年。
ずっと最新の活動を追い続けてきたわけではないけれど、私にとって蜷川実花さんは、若い頃の自分の感性に強く影響した人の一人だ。

約25年ぶりに、もう一度
今回、最初から何か人生について考えようと思って出かけたわけではなかった。
もちろん仕事として伺ったのだから、まず一周目は展示全体を把握するように見た。
いつでもきちんと記事にできるように。
高揚しながらも、冷静な視点は忘れないように。
でも、その時点ですでに、どこかで心をつかまれる予感がしていた。
そして記者発表までの間に、もう一度。
今度は少しゆっくりと館内を歩いた。
そこで思いがけず、最近ずっと自分の中にあったことと、作品がつながり始めた。
《うつくしい日々》と《First Light》
今回、自分でも少し驚いたことがあった。
若い頃の私は、蜷川実花さんの鮮やかな色彩や、花や女性たちの濃密な写真に強く惹かれていた。
今回も、そうした作品はやっぱり美しかったし、グッズも結局そういうものを選んだりしたのだけれど(笑)、実際に一番長く立ち止まったのは、少し違う作品だった。

中でも強く心に残ったのが、《うつくしい日々》という作品だった。
父・蜷川幸雄さんが亡くなるまでの時期に撮影された写真たち。
当時、蜷川実花さんには生まれたばかりのお子さんがいて、できることを一つずつ増やしていく赤ちゃんと、できることを少しずつ失っていく父が、同時に目の前にいたという。
人は生まれ、人は死んでいく。
そんなことは、もちろん知っている。
でもその二つの命が同じ時間の中にあったことが、強く胸に残った。
写真そのものは、とても静かだった。
でもそのすべてが妙に明るく、美しく見えて、ちょっと落ち着かないくらいだった。
それらを見ているうちに、ふいに自分の記憶が浮かんだ。
娘が生まれた頃、私の祖父はすでにかなり弱っていた。
病室のベッドには管がつながっていたけれど、生まれたばかりの娘を連れていくと、ごく自然に祖父の隣へ寝かせ、抱いてもらった。
一方、息子は、祖父がもう少し元気だった頃に会えていた。
幼い息子が遊んでいるのを、祖父が楽しそうに眺めている写真も残っている。
当時は、はっきりと命の「始まり」と「終わり」なんて考えていたわけではない。
でも今回、《うつくしい日々》を見ながら、あの時間がふっと戻ってきた。
そしてもう一つ心に残った作品が《First Light》。
若い頃の両親が写った古いアルバムの写真を、蜷川実花さんが今、もう一度撮影した作品だ。
まだ自分が生まれる前の、若い父と母。
その写真に、娘である今の蜷川実花さんがもう一度カメラを向ける。
その作品を見ながら、私にも、昔の家族写真を見つめ直した時間があったことを思い出した。
今の自分よりずっと若い父と母の姿を見るのは、少し不思議な感覚だった。
今だから見えるもの
親は少しずつ年を重ねていく。
そして自分自身も、若い頃にはまだ遠かった「老いる」ということを、ちょっとずつ現実として感じるようになってきた。
一方で、子どもたち世代は驚くほどの勢いで成長していく。
我が子も、そしてその周りにいるお友達も、溢れるような生命力に満ちていて、眩しい。
その間に立っている今だからこそ、見えるものがあるのかもしれない。
もちろん、誰もが同じ家族の形を持っているわけではない。
親との関係も、子どもの有無も、人生の背景も人それぞれだ。
でも、自分自身が年齢を重ね、周囲の人や景色との関係が変わっていく中で、昔は気づかなかったものが見えてくることはある。
家族や時間、記憶のことを感じさせる作品たちを眺めながら、気づくと私は自分の家族について考えていた。
日本に帰ってきたら、やりたかったこと
振り返ると今年は、家族と過ごす時間が本当に増えた。
夫の海外転勤をきっかけに、私たち家族は南米の2か国で暮らした。
大変なこともあったけれど、海外生活そのものはとても楽しかった。
そして、コロナ禍や子どもたちの受験などで、 夫だけが海外にいて、家族はなればなれで暮らした時期も長かった。
この春、夫も6年ぶりに本帰国。
久しぶりに、日本で家族4人が一緒に暮らしている。
リビングでワイワイ過ごす何気ない時間。
それだけでも、しみじみ幸せなことだと思う。
帰国してからは、夫婦それぞれの親やきょうだい、親戚と過ごす時間も増えた。
京都や九州へ家族に会いに出かけたり、同じ東京に住む弟家族が遊びに来てくれたり。
今年、3世代で過ごした夏休み。
楽しいだけでなく、自分の子どもの頃、そして我が子たちが幼かった頃に過ごした幸せな時間を、もう一度みんなでなぞるような、忘れられないものになった。
年末には、夫の家族とも一緒に旅行する予定がある。
海外にいた頃、
「日本に帰ったら、こんなふうにみんなで過ごせたらいいな」
と思っていた時間が、今、目の前で流れている。
子どもたちも、おじいちゃんやおばあちゃん、いとこと過ごすことを楽しんでいる。
その姿を見ると、本当にありがたいなと思う。

少し前に、友人からふいに、
「はる菜ちゃんちって、仲いいよね」
と言われたことがあった。
その言葉は素直に嬉しかった。
でも同時に、一瞬だけいろいろなことが頭をよぎった。
私が大人になってから、父と母はそれぞれの道を歩くことになった。
もちろん、それだけで我が家のことを説明できるわけではない。
でも長く家族でいれば、楽しかった記憶だけでなく、引っかかったまま残る出来事や、ふとした拍子に蘇る感情もある。
さまざまな時間を経て、それでも今、みんなで楽しく過ごせている。
そのことを、少し離れたところにいる人にも感じてもらえていたことが、思いがけず嬉しくて、心に残った。
きっと、それぞれ、何かを持ったまま
家族との関係というのは、そんなに単純なものではないと思う。
もちろん、他の人の心の中まではわからないけれど、
普段はすっかり忘れているくらい奥の方にしまわれているのに、ふっと顔を出す記憶や感情を持つ人は、少なくないのではないだろうか。
その時々で、形も重さも違う、何か。
過去の引っかかりを、なかったことにする必要はない。
でも以前は近づくことが難しかった出来事に、今なら少し違う距離から触れられることがある。
全部を理解できるわけではない。
きれいに整理できるわけでもない。
それでも、昔とは違う見え方になることはある。
ときどき心の奥が揺れることはあっても、会えた日は、その時間をできるだけ大切に、楽しく過ごす。
一緒に食べて、話して、笑う。
それって、思っているよりもずっと幸せなことなのかもしれない。
もし毎回、
「この時間があと何回あるんだろう」
なんて思って過ごしていたら、たぶん疲れてしまう。
面倒だと思う日もある。
少し距離を取りたい日もある。
普通にイライラもする。
たぶん、そういう日があることまで否定しなくていい。
いつも完璧に大切にするなんて、きっとできない。
ただ、ときどき思い出せたらいい。
今、会える人がいること。
一緒に食卓を囲めること。
子どもたちが成長していく姿を見られること。
親がまだ、親としてそこにいてくれること。
それは永遠ではない。
だからといって、毎日ありがたがらなくてはいけないわけでもない。
ただ、たまに立ち止まって、
「ああ、今って、もしかしたらすごく大事な時間なんだな」
と思えたらいい。
今回の展覧会は、思いがけず、自分でも普段あまり触れない心の柔らかいところに届いた。

家族について考えたくて、あの日、展覧会へ行ったわけではなかった。
でも作品を見ながら、自分が今いる場所を、少し離れたところから見せてもらったような気がした。
それは蜷川実花さんの表現が変わったからというだけではなく、きっと見る側の自分も変わったからなのだと思う。
答えをもらったわけではない。
何かを決めなさい、と言われたわけでもない。
ただ、「こんな見方もあるよ」と、何かをそっと差し出してもらったような気がした。
最近ぼんやりと感じていたことに、少し輪郭が生まれた。
そしてそこから、自分がこれから大切にしたいものを、もう一度考えることができた。
毎日を特別な日にすることはできない。
でも、ときどき今ある時間の大切さを思い出す。
そのための小さなヒントをもらったような気がしている。
川口市立美術館 開館記念特別展 「蜷川実花展 はじまりの光」
著者プロフィール

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書籍編集、企業広報やSNS、HPのライティングなど、
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