30年後の『スワロウテイル』──14歳の私が見つけたもの
※映画の内容に一部触れています。
土曜日、『スワロウテイル 4Kリマスター』を、夫と観てきた。
映画が公開されたのは1996年。私は14歳だった。
私にとって大切な映画だということは常々夫にも話してきたのだが、観終わって映画の話をしている時に改めて夫に聞かれた。
「何がそんなに好きなの? 人生が変わるくらいよかったの?」
私は、うまく答えられなかった。
物語も好きだし、映像も、音楽も、出ている俳優さんたちも好き。
でも、「ここが好き」「これが私の人生を変えた」と、一つに決めることはできなかった。
たぶん、この映画について話そうとすると、14歳だった自分や、その後に好きになった映画、音楽、本、ファッション、そしてそこから30年近く生きてきた時間まで、一緒に出てきてしまうからだ。
もくじ
年齢をごまかして観に行った、14歳の私
『スワロウテイル』はR15指定作品で、14歳だった私は、本当なら観ることができなかった。
それなのに、なぜか年齢をごまかして観に行った。
誰と行ったのかも、何をきっかけにそこまで観たいと思ったのかも、今となっては覚えていない。
私は一貫校に通う、結構真面目で、世間知らずの女の子だった。年齢をごまかすなんて、きっと自分なりにかなりドキドキしたはずだ。
当時はまだ窓口で映画の切符を買っていて、少し緊張しながらそれを買ったことは覚えている。
そして、今の渋谷ヒカリエがある場所。東急文化会館の一階の柱に貼られていたポスター。
強く印象に残っている青と、「三上博史」「Chara」「伊藤歩」という文字。
記憶はところどころ抜け落ちているのに、学校の帰り道に見たその景色だけは、今も心の中に残っている。
映画を観たあと、岩井俊二監督のほかの作品も観るようになり、岩井作品に出ていた俳優さんたちを好きになった。
そしてCharaが大好きになり、その音楽を聴き、そこからさらに別の音楽へも興味が広がっていった。
もちろん、小室ファミリーやモーニング娘。のような、その頃流行していた音楽も楽しかった。友達と一緒に盛り上がるのも好きだった。
その一方で、少しずつ、自分だけの「好きなもの」ができていった。
もともと本が好きで、中学生の頃は、山田詠美、吉本ばなな、江國香織、村上龍、村上春樹などの本を読んでいた。
映像だと映画だけでなく、いくつかの忘れられないドラマもできた。
『スワロウテイル』だけが、今の私につながるすべての始まりだったわけではない。
それでも、今の私が惹かれるものの原型を、初めて目の前に見せてくれた映画だったような気がする。
涙がこぼれそうになった『My Way』
今回、映画を観ているあいだ、ずっと泣くのをこらえているような感覚があった。
感動したから、というのとも少し違うし、
懐かしい、と言って泣いてしまったら、何かがわかりやすい感情に変わってしまうような気がした。
それで、私にとって大切なものが少し薄まってしまうような。
そんな大層な話ではないのかもしれない。
私はこの映画をつくったわけでも、参加したわけでもないのだから。
それでも、自分の中では、簡単に「懐かしい」で終わらせたくない何かがあった。
特に涙が外へ流れ出しそうになったのは、Chara演じるグリコが『My Way』を歌い始める場面だった。
最初は乗り気ではなかったグリコが、バンドをバックに歌い始める。
「古くさい歌」とからかわれながら始まった演奏が、少しずつ熱を帯びていく。グリコも途中から、その場を自分のものにするように、Charaらしく歌い始める。
私は昔から、Charaが歌う『My Way』がとても好きだった。
いちばん好きな曲を聞かれたら、やはり『Swallowtail Butterfly ~あいのうた~』と答えると思う。それでも今回は、映画を観る前から、そして観終わったあとも、『My Way』がずっと頭の中を流れていた。
もう一つ、改めて心をつかまれた場面がある。
伊藤歩さん演じるアゲハが、グリコたちの店を買い戻すために、街の子どもたちを動かしてお金を集める場面だ。
そして屋上に集まった子どもたちの幾人かが、千円札を破り合い、札に開けた穴からこちらを覗く。
その場面に流れる音楽も好きだった。
何かが始まりそうで、見ているこちらまで少し勇気が出るような曲だった。
今回の映画のポスターにも、その子どもたちの姿が使われている。

私なりに考えると、この二つはどちらも、変化が始まる瞬間なのだと思う。
グリコが歌うことを自分で選び、歌手への道を歩き始める瞬間。
それまで周囲の大人たちに振り回されていたアゲハが、自分の意思で何かをつかみ取ろうとする瞬間。
二人とも、別の誰かになったのではない。
もともと自分の中にあった力を、初めて外へ出した。
14歳の私は、そんな二人に憧れたのだと思う。
というか、伊藤歩さんになりたかった(笑)。
グリコのファッションをまねたこともある。
誰に見せるわけでもないのに、蝶のタトゥーシールをこっそり胸元に貼ったこともある。
今思うと本当に恥ずかしい。でも、そんなことまで含めて、当時の私にとってこの映画は、まぶしくて、危うくて、自分の知らない世界へつながる扉のようなものだった。
1996年、別々の場所で映画を観ていた二人
夫も若い頃、『スワロウテイル』を5回くらい観たらしい。
そして同じ1996年に公開された『トレインスポッティング』にも、大きな影響を受けた。
私はアゲハやグリコに、夫はレントンに心を掴まれた。
当時は、もちろんお互いの存在など知らない。全然違う場所で生きていた。
それを「運命だね」というような話にしたいわけではない。
ただ、同じ時代に公開された映画から、それぞれ少し気恥ずかしくなるほど影響を受けた二人が、その後出会って結婚し、子どもを育て、家族で南米に暮らした。
日本と海外で離れて過ごす時期もあった。
そして夫が約6年ぶりに日本へ戻り、家族全員がそろって日本で暮らせるようになってから、 まだ半年ほどしか経っていない。
今年の2月、夫はまだ海外だったので、私は『トレインスポッティング』のリバイバル上映を一人で観た。
そして夫が帰国してすぐの頃、家族と一緒に暮らせるようになった喜びはありながらも、仕事も生活も大きく変わり、いろいろ落ち着かなそうな時期があった。
そのとき映画館でもらった大きめのポストカードを、ふと思いついて百円ショップで買った額に入れて、夫に贈った。
一緒に、昔から持っていた『スワロウテイル』のパンフレットの表紙もカラーコピーし、額に入れた。
そして二つを、寝室の壁に並べて飾った。

それを見た夫は、別に大喜びしたわけではない。ただ、少しニヤッとしていた。
そのときは、二つの映画がともに30周年を迎えることを、あまり意識していなかった。
でも今、並んだ二つの額を見ると、なんだか象徴的に思える。
30年前、それぞれ別の場所で出会った映画を、今は同じ家の壁に並べて暮らしている。
大切すぎて、なかなか触れられなかった

『スワロウテイル』のDVDもCDも写真集も持っている。
公開時に買った映画のパンフレットも含めて、日本でも、海外でも、いつも棚のよい場所に置いてきた。
しかも今は、それらを使わなくても、観ようと思えば映画を観られるし、聴こうと思えばすぐに音楽を聴ける。
それなのに、私は長いあいだ、あまりこの映画に触れてこなかった。
大切すぎたのだと思う。
何度も観たら、何かが薄まってしまうような気がしていた。
映画そのものだけでなく、14歳のときにそれを観た感覚や、もう今の私には持つことのできない若さや、あの頃のキラキラしたものまで、雑に取り出してしまうようで怖かった。
今回、スクリーンに映る俳優さんたちは、当然ながらみんな若かった。
今も活躍されている、素敵な方たちばかりだ。
でも当時の私から見れば、画面の中の彼らは、自分よりずっと先を生きる、大人の人たちだった。
30年後の私は、いつの間にか、あの頃の彼らよりずっと年上になっている。
若い彼らを眺めながら、その姿に憧れていた14歳の自分の感覚が、一瞬だけ戻ってくるようだった。
できることなら、あの日の私に会って聞いてみたい。
「どうだった? 何を感じた?」
でも、きっと14歳の私もうまく言葉にはできないのではないかと思う。
それでいいような気もする。
答えられないまま、残っているもの
映画が終わり、館内が明るくなって現実へ戻るときも、私は何と言っていいかわからなかった。
夫には、「大事すぎて、いつでも観られるのに、なかなか観ないんだよね。でも、久しぶりに観てよかった」というようなことを話した。
そして劇場を出たあと、なんとなく私は弟に、夫はお兄さんに、「観てきたよ」とそれぞれLINEをした。
それも、なんだか少し可笑しくて、思い出深い。

今回映画を観た新宿の雰囲気はあの映画に合ってる感じがしたけど落ち着かず、家の近くの方まで戻り、前から気になっていたお店へ二人で寄った。
そのカウンターで飲みながら少し感想を話して、そのあと家に先に帰っていた娘を呼び、三人であれこれ話した。最後には一緒にごはんを食べた。
息子は翌日が試合で、部活があったため参加できなくて残念。
でも、夫や娘の顔を見ながら過ごした時間まで含めて、今回の『スワロウテイル』との再会だったように思う。

今年は、昔の自分に再会するような出来事が何度かあった。
CharaとYUKIのライブへ行き、心に残る映画にもいくつも出会った。
ずっと子育てや海外生活が目の前の暮らしになっていたけれど、最近になってようやく、そのもっと前から自分の中にあった原型のようなものへ、少しずつ触れ直している。
そして私は仕事柄、いろいろなことを言葉にしようとしてきた。
言葉にすることで、見えるものもある。
一方で、言葉にした瞬間に、何かを限定してしまうこともあると思う。
それでも今回は、一人では大切すぎてまとめられなかった思いを、少しずつ言葉にしてみてよかった。
『スワロウテイル』が私の好みを一からつくったわけではない。
きっと、それまでにも自分の中にあった何かに輪郭を与え、その後の私が「私はこれに惹かれる」と気づくための感覚を育ててくれた。
だから、「何がそんなに好きなの?」と聞かれても、やはり簡単には答えられない。
でも、30年経っても説明しきれないものが、自分の中にこれほど残っている。
その説明できなさ自体が、この映画から受け取ったものの大きさなのかもしれない。

今回、新しいパンフレットとポストカードを買った。
これまで、大切すぎてなかなか開けなかった昔のパンフレットも、これからは、ときどき取り出してパラパラとめくるような気がしている。
何度も観て、わかったつもりになるのではなく。
遠くから守るだけでもなく。
この映画をもう一度、今の私の暮らしの中へ迎えられたような気がしている。
またいつか、よい時に、よい場所で、よい人と一緒に観られたらいい。
著者プロフィール

「暮らしを支える言葉」を届けたい
書籍編集、企業広報やSNS、HPのライティングなど、
暮らしや人の営みに寄り添うテーマを中心に幅広く執筆しています。
生活者としての実感を大切にしながら、
読み手にとって「少し前向きになれる言葉」を届けることを心がけています。
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