自分というフィルターを通して世界を見ること/人生の手触りメモ7月

少し前、ブラジリアンワックスについての記事を書いた。

その言葉自体にわりとインパクトがあるけど、サロンを紹介する記事ではなかったし、考えた末、記事内にお店のリンクなども貼らないことにした。
私自身が感じていたことや、実際に体験して「こういう選択肢があると知って少し気持ちが楽になった」という実感を書いた記事だった。

公開後、記事を読んで実際にサロンを訪れた方がたくさんいらしたと聞いた。

しかもそのほとんどが、記事を書くときに届くといいなと思っていた私と同年代の女性。
「私も、この記事とまったく同じことを感じていました」
「このサロンで、この体験をしてみたいと思いました」
と話してくださる方が多く、遠方から足を運んでくださった方もいたという。

その話を聞いたとき、とても嬉しかった。
記事の内容を私に任せてくださったオーナーさんにも、改めて感謝した。

でもそれ以上に、このことが心に残った理由がある。 

情報だけではなく、その奥にあった私の実感まで、一緒に届いたのかもしれない。

そんなふうに思えたからだ。
それは、少しハッとさせられた出来事だった。

海外でライターの仕事をする様子

私はライターになってからずっと、「良いフィルター」でありたいと思ってきた。

自分を前に出すのではなく、私を通すことで、そのテーマや、取材した方が本当に伝えたかったことが、より伝わる。
そんな文章を書ける人で在りたいと思ってきた。
だからこれまで私は、その時々の自分というフィルターを通して世界を見てきた。

子どもたちが小さい頃の様子
子どもたちとほとんどずっと一緒だった時期

ライターとして走り始めた頃は、「子育て中の私」がフィルターだった。
まだ小さかった子どもとの毎日の中で感じたことを書いていたし、その頃だから書けた記事がたくさんある。

そしてブラジルやアルゼンチンで暮らしていた頃のフィルターは、「海外で暮らす私」。
地球の反対側での体験。文化や言葉の違い。全く違うようで同じだと感じた部分。外から見た日本。
そんな気づきや景色を、自分なりの言葉で届けようとしてきた。

どれも、その時期だからこそ書けた文章だったと思う。

アルゼンチン・ブエノスアイレスの本屋さんで子どもたちと本を選ぶ様子
大好だった、ブエノスアイレスの本屋さん

でも最近、少し変化を感じている。
気づけば
「子育て中だから書ける」「海外だから書ける」
みたいに思うことが減ってきた。

振り返ると、その変化は今年の初め頃から少しずつ始まっていたのかもしれない。
南米から帰国しやっと生活が落ち着き、子どもたちも少しずつ手が離れ、自分にもちょっと目が向くようになった。
でも、それだけでは説明できない気がしている。

この数か月は、ブラジリアンワックスの記事、漢方薬剤師・漢方ライフクリエーターの樫出恒代先生への取材、野沢温泉への出張などを通して、仕事でも「私は何を受け取ったのか」を考える機会が続いた。

取材では、その場で交わした言葉を全部書くことはできない。
そして全部を書けば伝わるわけでもない。

取材相手が本当に伝えたかったこと。
そして、その中で自分が「これは伝えたい」と心を動かされたこと。
その重なる場所を探して言葉にする。

それを、自分の中では「抽出する」と呼んでいる。

情報を減らすことではない。
体験の中から、自分が本当に受け取ったものを見つけること。
そして、そのエッセンスを言葉にすること。

私は昔から、その作業が好きだった。
でも最近、それが少し変わってきた感覚がある。
今まで以上に「私はどう感じたんだろう」と深く掘り下げて考えることが増えた。
それは書き方というより、自分自身への問いかけや世界の見方の変化なのかもしれない。  

木々と木漏れ日

思えば、この「抽出する」という感覚は、書くことだけではなかった。

この春から夏にかけて、本当にたくさんの出来事があった。
仕事で感じた壁と、そこから生まれた新たな気づきや出会い。久しぶりの友人たちとの再会。ライブや映画や展覧会で心を揺さぶられたこと。
子どもの学校や部活を通して新しいご縁もできたし、久々に日本で家族四人揃って、ゆっくり話せる時間も増えた。
あと、Googleドライブや昔のデータの整理をしたことも、思いがけず大きな後押しになった。

以前の私は、そんな自分の心が動いた全部を残したいと思っていた。
もちろん今でも、その気持ちは少しあるけれど、最近は、全て抱え込まなくても、本当に大切なものは残るのかもしれないと思えるようになってきた。

その感覚が、仕事にも少しずつ表れている気がする。

5月のnoteでは、「原型の自分」に触れた。
6月のnoteでは、「環境が自分を定義しなくなってきた」ということを書いた。
あれは人生全体の話だった。

でも今、その変化は、書くことにも現れ始めている。
前に進んだようにも思えるけど、どちらかというと、これまでずっと奥に持っていたものが、また少しずつ見えるようになってきたようなかんじだ。

以前は”役割”を通して世界を見ていた。
今は少しずつ、私自身が受け取ったものを、そのまま見つめられるようになってきた。

これまでの何かを手放したわけではない。
その時間を全部通ってきたからこそ、役割のさらに奥にある「私自身」が、もう一度フィルターになり始めているのかもしれない。

「私だから書ける」

そんな感覚が、少しずつ戻ってきている。

でもまだ、その途中だ。
ただ最近は、そのフィルターを少し信じてみてもいいのかもしれない、と思えるようになってきた。

全部を書かなくてもいい。
全部を説明しなくてもいい。

私が本当に心を動かされたものを、自分の中で丁寧に抽出すること。
そして、その時々の私というフィルターを信じて、誰かへ届けること。
今は、それが私の書きたい文章なんだと思う。

◆文中で触れた記事

著者プロフィール

ライター 佐々木 はる菜
ライター 佐々木 はる菜
フリーランスライター・コラムニスト。
暮らし・子育て・社会テーマを中心に、取材・執筆を行っています。

集英社「LEEweb」、時事通信社などで連載中。
生活者の実感に根ざした言葉を大切にしています。
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