「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」は本当だった/海外転勤生活を充実させた数々の「障害」【ブラジル&アルゼンチン駐在】

来週には日本に本帰国するという金曜日の夜中1時、私はアルゼンチン・ブエノスアイレスの街を車で走っていた。

年齢も国籍もばらばらな、8人の友人たちが開いてくれた私の送別会の帰り道。
みんな子どもたちが通う現地校で出会った「ママ友」で、運転してくれているのはその中のひとり。さんざんおしゃべりをしたのに、女性5人が乗る車の中はまだ賑やかな笑い声で満ちている。
そんな中で私は窓の外を見てひっそりと涙を流していた。

いつ出るかわからない海外転勤辞令とコロナ禍

先の見えない日々が「家族で現地を楽しもう!」という思いに

我が家の場合、夫に海外転勤の話が出てから実際に渡航するまでが本当に長かった。

毎年のように「今年こそ海外転勤があるかも」と言われて5年。
そしてやっと決まった転勤先はまさかの南米、ブラジル!驚きながらも必死に準備を重ねるも、夫の赴任日はよりによってコロナ禍の一斉休校が始まった2020年3月1日。
引っ越し荷物も半分送ってしまった状態で母子で日本に残り、思いがけず始まった家族離れ離れの生活と先の見えないワンオペ生活を乗り切ること2年。

やっと家族揃ってブラジルでの生活が始まった時には、子どもたちは小学校4年生と2年生に、そして私はフリーランスのライターになっていた。
「こんな状況で子連れで南米に本当に行くの?!」なんて言われたこともあったが、さまざまな紆余曲折があったからこそ「家族で力を合わせて、なるべく現地でしかできないことをしよう!」という思いを強く持っていた。

「治安は悪いが人は良い」に深く納得したブラジル

当たり前の「買い物」や「食事作り」が、なんでこんなにしんどいのか

ブラジルに着いてすぐは、日々の買い物が嫌だった。

部屋中に、クイズ番組の不正解ブザーのような音が鳴り響き、毎回びくっとしながらインターホンの電話を取る。
エレベーターで地下駐車場に降りると、私の車の近くで、いつものブラジル人運転手さんが待ってくれている。
「Bon dia!(おはよう)」という言葉に大きな笑顔を作って挨拶とお礼を伝える。
顔認証と指紋認証のあるエントランスの電子扉を抜け、あらかじめ申請したルートと時間に沿って近所の大型スーパー、肉専門店、新鮮な卵を買える店を回って買い物する。

ブラジルのスーパー

私はもともとスーパーマーケットが好きだ。海外旅行に行くと必ず現地のスーパーに行くし、到着してすぐの週末、家族で出かけてた買い物は楽しかった。
商品の量も陳列も何もかもが大量で迫力がありカラフルで、外国に来たんだなぁと実感した。

でも、外務省海外安全ホームページに「世界的に見てもブラジルの犯罪発生率は非常に高く、日本人も被害に遭っています」とはっきり書かれているブラジル。
外を出歩けないほどではないけれど、私はサンパウロ中心地から少し離れた郊外の街に住んでいたので基本的には車移動だ。

自分専用の車に週に1~2回運転手さんが付くというのは、日本にいる頃は考えられない待遇で最初は戸惑ったくらい。
でもその車には「パニックボタン」というものが5つ設置されている。襲われた時に助けを求めるもので、ひとつはトランクの中についていた。
トランクに入れられる想定なのか……
当時現地では「短時間誘拐」なるものが「流行って」おり、よく注意喚起されていた。

買い物から戻り、1週間分の大荷物を部屋まで運ぶ。
日本と違って肉もドドーンと塊で売られており、野菜もひとつひとつが大きい。必要なものは下処理して、冷蔵庫にしまって…あっという間に午後になる。

食事作りは毎日のことだし、大げさでなく今の自分のメインミッションだ。
朝6:20には出発してしまう子どもたちのお弁当作りも、日本とは違う環境や食材の中で試行錯誤の連続だった。

ブラジルの登校の様子
冬の時期は起きる頃はまだ真っ暗!子どもたちは近所のお友達とみんなで、遠足のようなバスに乗って学校へ。通常1時間半、大雨で道路が冠水し片道4時間かかった時などは、心配で気が気ではなかった

運転手さんがいることも、買い物する方法があることもありがたい。
でも、わがままかもしれないけれど、時々本当に嫌になることがあった。

毎朝4時に起きて慣れない食材でお弁当作ることも、言葉ができないから大げさに笑顔を作って身振り手振りを交えて頑張ってコミュニケーションを取ることも、家の中の物がすぐ壊れたり動かなくなったりすることも…そうして何もしていない気がするのに、気づいたら夕方になってしまう。
何より自分の意志で自由に外を歩き回れないことがストレスで、薄暗い台所でお弁当を詰めながら、理由もなく涙が出てきたこともあった。

ブラジル生活が楽しくなったきっかけもまた、「日々の買い物」

でもそんな「日々の買い物」がまた、慣れない生活を前向きに動かすきっかけにもなった。

ブラジルは、土日になると街の至る所に「フェイラ」と呼ばれる朝市が立つ。
新鮮な野菜、肉や魚…サンパウロ市内の大きなフェイラだと日用品や名産品など何でも揃うと言っても過言ではない。

ブラジルの朝市、フェイラ

平日の買い物だけでは足りないため、土日もよく家族でスーパーやフェイラへ買い物に出かけた。
通ううちに顔なじみの人もでき、私たちを見ると日本語で「すごくあまい!」と果物を勧めてくれるなど会話が楽しみになり、カタコトだけどポルトガル語を頑張る原動力にもなった。

朝市で仲良くなったブラジル人と子どもたち
南米の人は本当に子どもに優しく、子どもたちを連れていたおかげでコミュニケーションがスムーズになったシーンは数知れず

「家族で力を合わせて現地でしかできないことをしたい!と思ってここに来たんだった」

それからは自分ひとりでも家族でもブラジルの様々な場所に出かけたり、ブラジル人の先生からテニスやカポエイラを習ったりと積極的に現地と関わるようになっていった。

渡航前にブラジル経験者から言われた「治安は悪いが人は良い」という言葉。当時は首をかしげていたが、その頃には深く共感していた。
そして先輩駐在ご家族の方々にも恵まれて親子共に日本人のお友達も増え、生活のペースもでき、周りから「もうずっとブラジルにいるみたいだね!」なんて言われて密かに喜んでいた頃。

ある夜、帰宅した夫の様子がおかしい。
ふと気づくと台所の入り口から、漫画みたいに顔を出してこちらを覗いていた。
日本からブラジルに行って約半年後、夫にアルゼンチン・ブエノスアイレスへの異動辞令が出たのは忘れもしない13日の金曜日だった。
準備やお別れで浮き足立っていた私が、引っ越し2週間前に転んで右肩を骨折したのはその縁起の悪さ…とは関係ないか。

隣の国なのに全く違う!ヨーロッパみたいなブエノスアイレスの日々

まさに充実の海外生活!から一転、トラブル勃発

ブエノスアイレスの街並み

南米間での引っ越し、そして家族揃ってゼロから生活を立ち上げる大変さは書き出すと枚挙にいとまがない。
でもブエノスアイレスで何よりうれしかったのが、自由に街を歩き回れるようになったこと!「ワンブロックにひとつカフェがある」と言われるヨーロッパみたいな街並みが本当に素敵。隣の国なのにブラジルと全く違う雰囲気に驚き、それまでの「南米」というイメージを大きく覆された。美術館やギャラリー、本屋さんといった文化的な施設も多く、歩いても歩いても飽きなかった。

ブエノスアイレスの本屋さん

友達がはるばる訪ねて来てくれた時は、着物を着てアルゼンチンタンゴに出かけたり、家族でマチュピチュやウユニ塩湖といった南米のさまざまな場所へ旅行したり…そしてそれらを連載記事やSNS、ブログにまとめ、反響も感じた。

今でも「南米旅行やブエノスアイレスについて検索したら、私の記事がたくさん出てきて、参考にした」といった御礼のご連絡をいただくことが多く、そのたびにとてもとても嬉しくなる。

しかし楽しかった生活は一転する。
自分で言うのもなんだが、普段元気な私が1週間くらい食べられず寝られなくなるくらいの事態だった。
一言で言うと、家族で思いがけない人間関係系のトラブルと向き合うことになったのだ。

自分も我が子も完璧だなんて思っておらず、むしろ至らないとこだらけ。
でも……内容的に詳細は控えるが、今考えてもとても変な、これまでの人生で経験したことのない驚きを伴った出来事だった。

夫婦で、家族で何度も話し合い、自分たちが考え、できることはひとつずつ全て行動に移した。
「こんなトラブルが起こるということは、私自身も何か省みることがあるはず」とも思い、馬鹿みたいだが改めて今あるものに感謝し、家をきれいに掃除し、思いつめやすいからこそ食事に気を付け毎日体を動かす時間を作った。
仕事関係の親しい方や、珍しく日本にいる両親にも相談し、客観的な意見をもらえたことにも救われた。

決めたのは、遊びに行った現地の友人宅からの帰り道

「子どもたちを現地校に転校させようかな」と現実的に考え始めたのも、夜の車の中だった。

自分たちなりに必死で真摯に状況と向き合ううちに、だんだんと私たちが「おかしい」と感じていたことが明らかになっていき、状況が良くなった。もともと親身になってくれていた人以外にも、思いがけない応援をもらうことも増えた。

そんなある週末、郊外にある夫の同僚のおうちにお招きいただいた。
光溢れるリビングには、たくさんの本と家族写真、グリーンが飾られた棚と暖炉が並び、大きな窓の外には広い芝生の庭とプール、テラスには真っ白なクロスがひかれたテーブル。

アルゼンチン人の友人のパーティー、アサード

アルゼンチン文化の代表ともいえる「アサード」というバーベキューでもてなしていただき、お互いの子どもたちは、おなかがいっぱいになると真っ青な空のもと、お庭で走り回って遊んでいた。
初対面で言葉が通じなくても、こんなに仲良く楽しめるんだなぁというしみじみとした感動があった。

最初、私はかなり緊張していた。
でもご夫婦共に優しいお人柄で、ゆっくり英語で話してくださり、気づくと仕事や家族のこと、旅や本の話などで盛り上がり、最後にぽろっと今の私たちの状況についても少しだけ話した。

その時かけられた優しい言葉。
そして、アルゼンチンでは親しい人同士で「マテ茶」を回し飲みするのだが、そのおうちで初めてそれを体験したことも忘れられない。
友人だと認めてもらった気がして、目の前で微笑む国籍も背景も全く違う方と、少しかもしれないけれど深く繋がれた気がした。

マテ茶
マテ茶のカップとストロー

その帰り道の車内。遊び疲れてうとうとしている子どもたちの顔を見ながら、夫婦どちらからともなく「現地校、調べてみようか」という言葉が口に出た。
日々の生活の中でも現地の方々との温かな関わりにたくさん力をもらっているし、同じ「大変な思い」をするなら、異文化に飛び込んで経験する大変さを選ぼう、そんなふうに話した。

スペイン語力ほぼゼロで飛び込んだ現地校

午前中はスペイン語、午後は英語。さまざまな国の子が通う私立校

アルゼンチン、ブエノスアイレスの現地校
最初に見た時「ハリーポッターみたい!」と思った学校

私たちがご縁をいただいた近所の現地校は、午前中英語、午後スペイン語のバイリンガル私立校。
現地の日本人駐在ご家族が通わせるのは、日本人学校かインターナショナルスクール。我が家の決断に仰天した人は少なくなかったはず。

挨拶と買い物くらいしかできないスペイン語力の私たち、学校探しも準備も大変で、スペイン語を習っていた日系人の先生方の力なしでは進められなかった。
あのトラブルがなかったら絶対、「元の環境のままでいいか」と考えていたと思う。
そしてもともと子どもたちの進学の関係である程度帰国時期を決めていたから、「人生経験」と腹をくくって飛び込めた部分もある。

現地校の始業式
屋上で行われた、新年度の式典

入学した日、先生たちのスペイン語のスピーチが見事に一言もわからなかった。
本当に大丈夫か不安で、最初は毎日学校の周りをうろうろし、休み時間になると教室の外に出てくる我が子たちの姿を確認していた。
送り迎えも毎日意を決して出かけており、大げさでなく全身に冷や汗をかきながら他のママやパパに挨拶したり話しかけたりした。

現地校のおむかえの様子

もともとフレンドリーな国民性で、おそらく現地の日本カルチャー人気も追い風となり、少しずつ子どもたちにも友達が出来た。
移民国家のアルゼンチン、学校にもいろいろな国のお子さんがいたのも印象的。
娘はアメリカ人と中国人とロシア人の子と仲良くなり、今でもたまにメッセージを送り合っている。
子どもたちの誕生日パーティーやイベントにも積極的に参加するなど自分たちなりに精一杯過ごした結果、帰国前日ギリギリまで学校に通うくらい楽しい思い出がたくさんできた。

現地校のお友達と子どもたち

現地校のママ友たちと夜中まで楽しんだ「送別会」

そして子どもたちだけでなく、なんと私まで友人の家で「送別会」を開いてもらったのだ。

場所はもてなし上手のママ友の家、集合時間は夜20時。みんなで食べ物や飲み物を持ち寄り、止まらないおしゃべり。
全てが理解できたわけじゃないけれど、子どもの反抗期とか、お弁当が大変だけど学食にするとお金がかかるとか、夫や仕事の愚痴とか……国が変わってもママたちは同じだなぁと、話すほど親近感が増した。
私がいるからとわざわざ英語でしゃべってくれて、でも話が盛り上がるとついスペイン語に戻ってしまい「今日は英語の日よ!」と誰かが冗談半分で諭す、そんな優しさが嬉しかった。

子どもの進学のため、迷いながらも帰国を決めた私に対して忘れられない言葉ももらった。

現地校のママ友
今でも自宅に飾っている写真

「ついでに送ってあげる」と声をかけられ数名で乗り込んだ帰りの車内、私は夜景を見るフリをしながらこっそり泣いていた。

地球の反対側で、こんな素敵なママたちと出会い、夜中までおしゃべりして、ブエノスアイレスの星空の下を一緒に車で走っている。
今はすぐハグできるほど近くにいるのに、きっともう2度とこのメンバーでこんな風に過ごすことはないと痛いほどわかっている。
目の前の空気を音を雰囲気を忘れたくない!と、感覚を研ぎ澄ませていた。

きっかけは家族で陥った窮地。
でもあれがなかったら、私はこんな経験はできていないから、人生って面白い。
この先も大変なことがあるかもしれないけれど、その時はこの夜の感謝を思い出そう。

私が住む家までは、あともう少し。
小さく深呼吸をして、そっとハンカチをしまった私は、笑顔で彼女たちの方へ顔を向けた。

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長い記事をお読みいただきありがとうございました!
今回こちらを書いたきっかけは、3月に発売した海外生活についての本へ、読者の方から御礼のメッセージをいただいたことがきっかけでした。
現在kindleでは、発売半年を記念して10月5日まで限定で定価1080円を99円で販売中なので、気になる方はぜひ手に取られてみてください✨

海外引っ越しのコツ、ブラジル・アルゼンチンのリアル生活情報、南米各地への旅行から帰国子女受験まで、準備や現地のリアルな話を詰め込んだ一冊。

著者プロフィール

ライター 佐々木 はる菜
ライター 佐々木 はる菜
株式会社リクルート等を経て、結婚・出産を機にライターへ。現在は集英社の人気女性誌のwebサイト『LEEweb』でのコラム連載や日本有数のニュースサイト時事通信社「時事ドットコム」 での特集記事など、女性目線・ママ目線に強いライターとして暮らしや子育て、旅、国内外のトレンドから社会的な取り組みまで幅広く執筆。丁寧なリサーチ・取材に基づいた等身大の体験記事、インタビュー記事、実体験をもとにしたコラムに定評があり、企業サイトでのコラムやPR記事、編集業務などにも携わる。著書にkindle「今こそ!フリーランスママ入門」。夫の海外転勤に同行し2022年より家族でブラジル・サンパウロ、その後アルゼンチン・ブエノスアイレスで生活。

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ライター 佐々木はる菜
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