経済危機でも優雅?!アルゼンチン生活で感じる「おしゃべり」の力
もくじ
ブラジル、そしてアルゼンチン。南米で暮らした1年
「南米のパリ」と呼ばれるブエノスアイレス
昨年夫の海外転勤でブラジルへ。そしてこの4月からは家族4人でアルゼンチン・ブエノスアイレスに異動となり、もうすぐ南米生活が1年となる我が家。
現在住むブエノスアイレスは、日本からは飛行機で30時間以上かかる最も遠い都市のひとつです。
日本の友人や家族にアルゼンチンに住むと話した際に言われたのは、ほとんどが「メッシ」「アルゼンチンタンゴ」「ワイン」。私自身も南米に来るまでは映画や音楽のイメージしかなく、遠すぎてピンとこないというのが正直なところでした。
同じ南米でもまたブラジルとは全く雰囲気が違う、ヨーロッパのような街並みと雰囲気はさすが「南米のパリ」。
タンゴショーを始め様々な舞台が上演される有名な劇場、面白い建築物や美術館・博物館も多いなど「芸術の街」として名高く、街中にはお店や商店もたくさんあり夜遅くまで家族連れが行きかう、魅力いっぱいの場所です。
スーパーでも札束!身の回りのものがどんどん値上がるハイパーインフレの日常
そしてもうひとつよく聞かれるのが経済について。ニュースなどでもその混乱ぶりがよく報道されていますが、確かに大変な状況です。
在住3か月の私ですら、インフレ年率100%越えというハイパーインフレの日常が普通になっており、スーパーマーケットでのちょっとした買い物で札束を出すことにも驚かなくなりました。
銀行に現金がなく、何軒回っても引き出せないなんて日常茶飯事。
先日、2000ペソ札が発行されたと世界的ニュースになっていましたが、その価値は5~600円しかなく、そもそも流通していないのか、私はまだ見たことすらありません。
すぐストライキで電車やバスが止まり、そしてこの短い期間でも街中で売っているモノの値段が目に見えて上がっていくのは、改めて考えるとやはり異様です。
例えば注文しているウォーターサーバーのボトルは、この3か月だけでも約1.4倍!
どの生活必需品の価格もそんな状態なので、日本の値上げなんて可愛く思えてしまうほどです。
優雅な街並み、カフェも店も朝から賑わう
一方で、ブエノスアイレス市内の雰囲気はとても優雅!
私たちが住んでいるのは大使館などもある落ち着いた雰囲気の地域で、緑とカフェが多い街。治安などの良いエリアだとはいえ、最初に来た時はこれが本当に経済危機の国かと驚きました。
そして何よりも印象的だったのが、様々な方が朝からカフェでコーヒーやお茶を片手におしゃべりしている姿です。
「ワンブロックに一つ以上カフェがある」と言われているブエノスアイレスですが、どのお店も1日を通して賑わい、熱心に語り合っている方を多く見かけます。
地球の反対側で見た、日本の古き良き懐かしい光景
昔の日本みたい?!小さな商店が賑わう街並み
そんな会話が弾んでいる様子を目にするのはカフェだけではありません。
ブエノスアイレスに住み始めて驚いたのが、八百屋・肉屋・魚屋など小さな商店が多いこと!
街並みは全く違うのですが、街中の至る所に商店がある様子はなんだか昔の日本のようで、懐かしさを感じています。
いわゆる普通のスーパーマーケットもたくさんありますが、街を歩いていると目をひくのが軒先にカラフルな野菜や果物を綺麗に並べた八百屋さん。
お肉は牛肉屋・豚肉屋・鶏肉屋と種類ごとに店が分かれていたり、ハムやチーズ専門店がたくさんあったりするのも特徴的。
惣菜屋さんやパン屋さんなど様々なお店が集まり食事もできる小さな市場みたいな場所や、軽食・コーヒーなどを売っているお店、「KIOSCO」と呼ばれるコンビニと”よろず屋”の中間のような雑貨屋さんのほか、雑誌や花を売るスタンド、露店もたくさんあります。
そしてその店先で、店員さんやお客さん同士でまた話が盛り上がっている様子も、私が子どもの頃に見ていた賑やかな商店のよう。街全体にとても活気があると感じます。
今の子どもは知らない「井戸端会議」?!日本では忘れかけていた、人と集い話す習慣
現地で知りあった友人たちにその印象を話すと返ってきたのが、「アルゼンチンの人々は話し好き」だという言葉。
「アルゼンチン人にとっては家族や友達と集まったり、語り合ったりする時間が欠かせません。そもそもおしゃべり好きな人が多いから、日常の中でも“ちょっと話す“時間を作ることを大切にしている人が多い」
確かに週末の夜にふと窓の外に目をやると、近くのマンションの多くの家では、家族や友人で集まって遅くまでテーブルを囲み談笑している人々の姿が見えます。
前述の通りカフェは朝早くから晩までおしゃべりをする人で賑わい、店先だけでなく、公園でも道端でも会話が盛り上がっています。
また今の時代にこんなことを言うと男女差別と怒られてしまいそうですが…
日本ではそういった”長話”の類の言葉は女性のイメージが強い気がしますが、南米では老若男女問わず熱心に話し込み、仕事の合間や待ち時間に長々と電話をしている男性を見かけることも多く、面白いなと感じます。
そんな光景を見て私が久々に思い出したのが「井戸端会議」という言葉です。
今40歳の私が小さい頃は、街中や店先でこんなふうに話している人がたくさんいたし、母はよくダイヤル式の黒電話で「長電話」をしていた気がします。
ちなみに小学生の我が子たちにその話をしたところ、どちらも「初めて聞いた単語」とのこと。
今の時代はSNSなど別の形でのコミュニケーションが増えているのかもしれませんし、他愛ないおしゃべりが好きかどうかは人それぞれ。
ただ、私が住んでいた東京は、やっぱり誰もかれも忙しいのか街中でゆっくりしゃべる光景はあまり見かけなくなったと感じますし、チェーン店ではない昔ながらの喫茶店なども減る一方。
私自身も常日頃から子育てに仕事に慌ただしく、のんびりおしゃべりしている暇なんてない!と思っていたくらいでした。
でも。
日本と比べても厳しいとされる現状に対して、こちらの人々に笑顔が多く街にも明るさがある一因は、もしかしたらこの「おしゃべり」の習慣にあるのかもしれない…と思うようになりました。
見直したい「おしゃべり」や「おせっかい」の力
「誰かの力になってあげたい」=「話を聞いてあげたい」
「アルゼンチン人の良いところは、誰かの力になってあげたいという思いが強いところだと思います。
その時に一番すぐできることのひとつが“相手の話を聞いてあげること“。
ちょっと時間ができると「元気にしてる?」と連絡を取り合うし、困っている人がいたら無理矢理にでも予定をあけて話を聞こうとします。」
現地の方によるとアルゼンチン人にはそんな「おせっかい」さがあり、自分の家に寄ってもらい何時間も話し込むことも日常茶飯事なのだとか。
また物価の高騰で外食などが気軽にできない人も増えているからこそ、日本でいう「町内会」のような団体が、地域の人でリーズナブルに集まり食事や会話を楽しめる場を定期的に作っていたり、仕事後に会社の人と集まって仕事に関わらず様々な話をする「アフターオフィス」が注目を集めるなど、「互いに話を聞く」ことは生きていくために不可欠な習慣だということが伝わってきます。
「毎日暮らしていくだけで大変という人の方が多く、現実は厳しい。でもどんなに辛く苦しくても人と集い話す時間は必ず作るし、そうやって何気ないおしゃべりすることに救われている人が多いと思います。」
日常的にそういう場があると、悩みを抱えたり孤独で助けを必要としたりしている人がいた時に、早い段階で周りの人が気づいてあげられるのではないかとも感じました。
おしゃべりやおせっかいは、人の心を明るくする
私にとって、地球の反対側で暮らすというのは劇的な環境の変化でした。でもその変化を前向きに乗り越えられた理由の一つは、日常生活の中で温かな言葉をかけてくれる、ある意味で「おせっかい」な方々の存在でした。
街で出会う方々はいつも大きな笑顔で挨拶し、言葉が全く分からなくても向こうから声をかけ、こちらの身振り手振りや拙い話を理解しようとし、困っていると力になろうとしてくれました。
そんな優しい方々だからこそなんとかコミュニケーションを取りたい!と一所懸命話しかけると喜んで応えてくれる…
私自身もまた、こちらで出会った方々との「おしゃべり」や「おせっかい」に力をもらったひとりです。
もちろん私が見ているのはあくまで一部分。様々な面で日本では考えられないような光景も目にしてきましたし、現地の方々に話を伺っていても、実際の状況は語りつくせない大変なことも多いと感じます。
でも、だからこそ「何気ないおしゃべり」のパワーを実感している今日この頃。
南米に来て学んだ、大きな気づきのひとつかもしれません。